本を買う人、ひさぐ人、一周まわってみな兄弟

「古本をめぐる世界において、売り手は時に買い手であって、買い手は時に売り手である」ということを適当に艶っぽく言ってみたが、特に意味はない。
ただこの「売り買い」についていうと、自分はもっぱら買うばかり。たまに好きな本を人にあげたりすることはあるけれど、売ることは滅多にない。買いはするけど客はとらない。つまりは「買い」専門。
ためしに「買本(バイボン)」と書いてみる。そういう言葉は日本語にはないと思うけれど、なんとなくヒワイな感じになった。さらにこれを声に出してみるとヒワイさがより増した印象を受けたのだけれど、これはおそらく重なる濁点のせいではなかろうかと思いつつ、偶然出てきたのが「濁点の性」とは、これもまたけがれた感じでおあつらえむきだ。
とにかく今日も帰り道に商店街の古本屋で本を買う。帰り道、たまたま電車の中で読んでいた本の中に、「バチーン」と、琴線に「触れる」というより「ぶったたく」ような文章を見つけてしまい、「やっぱり本すごいや」とひとりで静かに興奮する。して、電車を降りてから近所の商店街を歩いていたら、いつのまにかいつもの古本屋に入っていた。
その古本屋は深夜まで開いていて、ちょうど帰り道にあるものだから、なんとなく週に二、三回は寄っていて、だいたいはなにも買わずにそのまま出てくる。よく行くものだから本の並びもだいたいわかっていて、そうすると見る棚もなんとなく決まってくる。今日も「や」とか「や」とか「ま」とか「な」とか「し」とか、いつも見ている棚を眺めていたのだけれど、なぜか今日はよく「見つけて」しまって結局4冊の本をレジに持って行く。
そしてお金を払いながら考えたのは「果たして自分はこれをいつ読むのだろうか」ということ。部屋に帰った僕は、おそらくこれらの本をとりあえず本棚にのっけておいて、しばらくは今読みかけの本を読むだろうし、そういえば僕は昨日も隣の駅の古本屋で前から読みたかったある本を見つけてそれを買っている。考えたらそういう本はほかにもたくさんあるし、「読みたい」と言って人から借りたままになっている本もある。さらに知らないあいだに人が置いていった本も部屋にはある。読もうと思えば読んでない本はいくらでもあるし、今まで読んだ本だって、ほとんど憶えていないんだから、もう一度読んでも面白いだろう。となると「いつ読むのかわからない本」を通り越して「読まない本」を買っているということにすら思えてくる。
そうすると今自分がやっていることは「わざわざお金を払ってそこにあった本を自分の部屋に運んでいるだけ」というまったく訳のわからない行為でしかなくて、持って帰るカバンは重くなるし、置いておく部屋は狭くなるし、財布のお金は減ってしまう。果たしてこれは意味のある買い物なのかと一瞬後ろ向きに考えてしまったが、持って帰る気は不思議と萎えない。店員には「袋はいらないです」と言い、カバンに直接その4冊を入れて、お釣りを受け取って店を出る。
自分よりずっと長く生きている先輩が以前ネット上の日記で「近年、特にネットの発達で、本などに対する『所有』の意味が希薄化しつつあり、それはもう隣の部屋にあるか、何万キロ離れた誰かの家にあるかという距離のちがいしかない」つまりは「自分の本棚が地球大に拡大されたと言えるような気がする」と、明確な所有の放り投げみたいなことを宣言されていて、それを読んだ時の僕は「確かに!」とパソコンの画面に向かって大きくうなづいたりしたのだけれど、その時の「うなづき」と今日の「持ち帰り」には明らかな矛盾があるなと思いつつ、そんなことを考えはじめたら長くなりそうだし、さっきからテレビで面白そうな映画もはじまったので「所有欲、非所有欲、どちらも本能。本だけに。」という無理矢理な結論でひとまず今日のところは納得させることにする。ちなみに映画の音楽はバート・バカラックで、ずっと前「僕はバカラックになりたい」と友達に言ったことがあるのを思い出したけれど、それは今書くことじゃないし、今考えるとかなり恥ずかしい。第一バカラックに失礼だ。
あと、今日買った本はどれも100円から250円で、これは昨日の散歩中に八百屋で買ったバナナ一房(150円)とだいたい同じ値段。比べてしまうとどっち安いんだか高いんだか、これまた考え事の芽が出てきたけれど、今日はもういい。
とにかく、今日も僕はいつ読むかもわからない本を嬉々として買ってきて、それをまた部屋に積み重ねた。今確実に言えることは、いつ読むのかもわからない本はこの部屋ではただの四角い紙の物体でしかなくて、古本屋にはお金が残るかわりにその本があった空間がぽっかり空いて、僕の財布からはお金が減ったかわりに部屋の空間が本で埋まった、ということで、僕と古本屋とのあいだで行われたこのお金と本の交換は、今のところびっくりするくらい無意味でそういう意味ではとても純粋な交換だった、ということ。
縦148×横105×幅10(mm)で100円は決して高くない、ということ。