読み書きファミレス

夜、仕事の帰り道に自宅近くのファミレスに入って、仕事で遅くなるという妻をフライドポテトを食べつつ待ちながら、また本をノートに書き写してみる。
前に何度も読んだ本ではあるけれどどんな話だったかほとんど憶えていない上に、物語の大きな流れとはまた別の細かい描写や会話の中身に至ってはまったく記憶にないことばかりであるので、書き写すために読みながら「こういう話だったんだ」とあらためて知って驚くことが時々あり、それをノートに書きながら「こういうふうに書いていたんだ」と二重に驚くことがまた時々ある。既に書かれたものを読んでそれをまた書き写しているのだから「こう書くのか」という気づきは「読む」という作業の段階で訪れてくれてもいいものだと思うのだけれど、やっぱりそれに気づくのは一度読んだあとの「書く」という作業の中であることが圧倒的に多い。おそらくそれは身体の使い方の違いなどに因るものなのだろうけれど、そういう作業の特質というか作用というか、そういうことを考えるのもまた面白い。
「書き写す」ということに体が慣れてきたのか、はじめに比べればずいぶん楽に作業が進むようになってきて、結局妻が深夜過ぎに店にやってくるまで、時々隣のテーブルの会話に気を取られながらも、2時間以上作業を続けることが出来たのだけれど、やはり読むのには10分もかからない。