草取りという思考

カサブランカ(ユリ科ユリ属)

午後、洗濯機をまわしてから外に出て草取り。土色だったはずの庭がいつの間にか三次元的に緑色がひろがる庭、というか草っぱら、に変わってしまっているのをはじから再び土色に戻していく作業。
この時期庭でメインをはっている雑草は、母体となる根から地面に沿って伸びた茎がところどころでまた根を張り、そこでまた新しい養分を吸収しながらさらに遠くへと茎を伸ばしていくというような生き方をしているやつで、見た目以上に根の張りが強くて容易には引き抜くことができないというか、力まかせに引き抜こうとすると根を残して地上に見えている部分だけが引きちぎれてしまったりする厄介なやつでもあり、それが文字通り庭一面にはびこっている状況を忌々しく思うのだけれど、それをそこまで生長させてしまったこと自体は自分の責任でもあるので一概に文句ばかりも言っていられない。というかそもそも話す相手がいる訳でもないので結局無言のまま黙々と草取りを続けることしか出来やしない。
草を上から見ていると親株を中心に茎をひろげまた新たな根を張りさらにひろがっていくその感じは、都市とそれを結ぶ鉄道のようであり、それらがいくつも重なりあってひろがる様子は視覚化されたWEBのようでもあったりする。根っこのあたりを鎌で刈りつつ刈りきれない末端の根をひきちぎるように草全体を引っこ抜きながら、そういうことを考えていると、草はまた無数のノードからなる記憶のイメージに見えないこともなくて、それでは記憶を辿るその行為は思考であるともいえなくもない、などと思ったりして、思いがけず「草取りという思考」などという「ムズムズする方の“AというB”の関係」の例文が出来てしまう。0円。
立ったりしゃがんだりを繰り返しながら作業を続けていると、だんだん体がギチギチしてきて、一回一回の立ったりしゃがんだりがしんどくなってくる。3時間ほどしてひととおり土が見えてきたところで不本意ながらも作業終了。家に上がってほったらかしにしてあった洗濯物をベランダに干し終えると、いよいよ体がだるいので少し布団で横になる。試しに熱を測ってみると予想外にちゃんと熱があるので驚いた。そのまま夜まで少し寝る。
夜、近所のスーパーへ。明日の食材を仕入れて帰宅。少し眠ったことで体はずいぶん楽になったのだけれど、まだなんとなく体にだるさが残るので、妻の帰宅を待たずに就寝。