ある場面

「あなたちょっと疲れてんのよ」
朝食の支度をしていた夏川結衣演じるところの妻が、
背中ごしに僕にそう言った。


マンションの5階にあるこの部屋のベランダからは、
一戸建てが並んだ街並みの向こうにある神社の境内の木々の緑がよく見える。
居間の奥にある食卓の椅子に腰掛ると、
その森の一番高いあたりがすこしだけ見えるのだが、
朝食の用意が出来上がるまでのあいだ僕はその緑を眺めていた。
一言で神社の境内の木々の緑といっても、
実際にはさまざまな緑色が幾重にも重なり合っている。
僕はそれを全体として神社の境内の木々の緑と言っているけど、
それは今見えていない緑色や、もしかしたら緑色以外の色も含んでいる。
あと一、二ヶ月もすれば、木々のてっぺんのあたりなどは、
陽射しに照らされてきらきらと光ったりするだろうし、
逆にその陰の緑はさらに濃くなるだろう。
その頃森の緑の上にひろがる空は、
きっと今よりずっと濃い夏の空の色をしているはずだが、
今も夏もそして冬でも、
神社の境内の森の緑であることには変わりないだろうな。
などということをぼんやり森を眺めながら考えていた。


「あんまり無理しないでよ」
気がつくと食卓には朝食の用意がすっかり出来上がっていた。