彼と本。

チューニング中


国文学科を卒業している彼だが「今こんな本を読んでいる」という話を彼から聞くことは少ない。そもそも彼は普段から本を読むのか。そう言われてみれば彼が部屋でひとりで本を読んでいる姿を想像してみても、どこかちぐはぐで曖昧なものにしかならない。言葉を生業にしている彼だが、その言葉をあるボリュームでまとめて印刷した「本」というものと「彼」との関係は意外にも希薄だ。しかしこのことで、彼の言葉にむかう意識の深度を軽んじてしまうのは誤りだ。思考を拾い集め、ある着地点(結論)まで読者を導くのが「本」だとすれば、彼の言葉に対するベクトルは「本全体=結論」ではなく「本以前」の言葉、つまりは「部分=感覚」に向けられて深化していっている。もともと長距離走者ではない彼は「最終的に何を言うか」ではなく「今どう言うか」そんな短い距離で言葉をとらえ、全力で疾走する。彼が本を読むイメージがないと書いたが、唯一例外があるとすれば、それは広告関係者の本に関してであって、その種の本はごくまれに彼の部屋のテーブルの上に置いてあったりする。