彼と着物

着物を普段着る人が世の中にどれくらいいるのかはわからないが、おそらくその数はずいぶん少ない。彼も普段は洋服を着るので、着物は着ないし、世の中のだいたいの人がそうであるように、普段でなくてもおそらく着物は着ないだろう。それでも彼は着物が似合う。実際には彼の着物姿を見たことはないので、似合うはず、というほうが正しいが、少なくとも波多陽区という人よりは似合うはずだ。彼と波多陽区では、おなかの存在感が決定的に違う。着物にはおなかが大事だと思う。ところで波多氏だが、着物姿でギターを鳴らして世の中を斬る。着物が中世風で、風刺を刀に例えて「ギター侍」を名乗っている。同じく現代に生きながら洋服を着て、広告文案を生業とし、手当たり次第僕に駄目出しをする彼は、さしずめ「コピー狂戦士」といったところか。あるいは、おどけたように笑いながら僕を諭したりする彼に「コピークラウン」という愛称を与えてもいいが、残念。どちらもいまいちカッコ良くない。というよりも「ギター侍」と僕が認めるのは後にも先にも手島おさむ氏だけだし、そもそも彼が侍だろうと騎士だろうと道化だろうと伯爵だろうとどうでもよくて、ただ彼の大きくやわらかく膨らんだおなかは、きっと着物を着た時にこそその価値を十分に発揮するはずだ、ということだけを僕は確信している。