節分

実家にいた頃は、毎年の節分には家で豆まきをした。小さい自分が父親のあとをついて家中を豆をまいてまわったのを憶えている。僕の実家では豆をまくのはいつも夕飯のあと、テレビを見ているような時間だった。「鬼は外、福は内」と父が声を出す。僕は恥ずかしくてそれを言わなかった。父親の掛け声にあわせて、僕はただ豆をまいていた。今、家と家の中の闇の話があちこちから聞こえてくるけど、僕の家にもそういう闇が確かにあって、小さい頃の僕は、ほんとにそれが怖かった。豆を持って父のあとをついて回りながら、暗い部屋に向かって豆を投げる。子供だから「えいっ」という気持ちで(声は出さずに)思いきりよく豆を投げる。暗い部屋の向こうのほうでパラパラパラと豆が散らばる音がする。僕はその後にくる部屋の静けさが怖くて、すぐ親のあとを追いかけた。鬼がどうだ、福がどうだ、というのはどうでもよくて、「早くまき終われ」とばかり思って豆を投げていた。闇に向かって、怖さに向かって、打ち消すように豆を投げていた。そんなふうにしてひととおり家の中をまわったあと、今度は外にでる。暗い家の庭をまわりながら、「外の便所」や「外のお勝手」や「バラック」なんかに豆をまいていく。そうして最後は家の裏側を歩く。防風林に囲まれた家の裏側は、夜になるとほんとに真っ暗で、子供はひとりだったら絶対行かないし、親が一緒でもあまり行きたくないようなところだった。その真っ暗な家の裏側にはお稲荷さんがまつってあって、余計に怖かったし、そのお稲荷さんの横にある木にも苦い思い出があったから、夜の家の裏側の暗さというのは、子供の頃の僕にとってはほんとうに怖かった。ある年の豆まきで「そっちはおまえがひとりで行ってきなさい」と言われた時は、逃げるように裏庭を走り抜けた気がする。
節分の豆まきといえば、僕はそんな「実家の闇の怖さ」を思い出す。とにかく見えない闇が怖かった。でもそんな思いまでしてなぜ豆をまくのかなんてことを深く考えたことはなかった。「とにかく一刻も早く、この豆をまけばよいのだ」そう思って毎年豆を投げていた。
たしかに豆まきは毎年やっていたけれど、節分の豆まきのことを、家族がそれほど大事にしていたわけでもなかったし、豆をまいて盛り上がるわけでもなかった。母親なんかは、豆を用意するだけして「あとはやっておいて」という感じで豆をまくこともなく、ずっと台所にいたし、僕も豆まきが終わったら居間に戻って、さっそくさっき見ていたテレビの続きを見始めるのだった。まったくの盛り上がりレス。しかし今思えば、わが家の年中行事のほとんどは、このように淡々と行われるものばかりだった気がする。
とにかく2月3日に豆まきをしなくなって久しい。というか今の子供らは、今も自分の家で豆まきするのかしら。それで豆まきのことなんかすっかり忘れた頃、部屋の本棚の下なんかから焦げ目のついた豆がふいに出てきたりするのを見つけて、それをまた投げたりするのかしら。