曖昧マイマインド

「曖昧」と書くとネガティブな意味合いが強いけれど、「曖昧さ」というのはだいたいの物事にとって多かれ少なかれ必要不可欠なものに違いない。それはさまざまな場面において、その状況を引き受けながら物事をスムーズに運動させるための緩衝材のような役割を果たす。人に対する態度であれば「曖昧さ」とは、相手に対する信用を前提としながらも、同時に不信という相反する意識もまた前提として成り立つ。そういう微妙な心の距離感を表すものになる。不信と書いたがそれは相手に対する過度の期待を自ら戒めるということであって「信じない」というのとは全然違う。むしろ「許す」とかのほうが近くて、

眠くなってきたので、今日はこのまま曖昧に終わらせる。