続曖昧マイマインド

眠くなってきたからといって途中でほうり投げられるのって、いいなと後で思った。そしてつづき。

むしろ「許す」とかのほうが近くて、「自分の思い通りにならないことがある」というその可能性を「あらかじめ承知していること」という意味で不信と書いた。「AでもあるかもしれずBでもあるかもしれず、どちらでもないかもしれない」というのはほんと曖昧な表現だと思うけれど、「曖昧さ」とはまさにそういうことで、基本的に矛盾なんだと思った。思いながら「世の中を信じつつ信じない」とか「信じないけれど信じる」っていうのは果たして矛盾なのだろうかとも思ったし、ちょっと考えたらそっちのほうがよっぽど正しいことのようにも思えてきた。
前に、ある本で「テクノロジーをきちんと使いこなすためには、なによりそのテクノロジーの限界をきちんと認識することだ」というような内容の文章を読んだことがあったけれど、「信じつつ信じない」というこの曖昧さ満点、矛盾風味の態度には、どこかこの言葉に重なるところがある。気がする。気のせいかもしれない。
突然「曖昧」について考えはじめたけれど、考えながらも、はじめにあったはずの目的地が、どんどん曖昧になっていくし、それが自分でもわかるので、歯がゆいし面白い。結局僕は「曖昧さ」を肯定的に考えたくて仕方がないようで、今日のとりあえずのまとめとしては、「曖昧さ」とはどのようなかたちであれ「それをそれとして受け入れる」という「物事あるいは世界全体に対する極めて前向きな態度の、その先っぽあたりからぼんやり匂ってくる臭気(臭いけどクセになる)」ということにしておこうか、おくまいか、とにかく眠い。