子供4人

もうすぐ昼寝


日帰りで帰省。
カヌーを載せたムショカーに乗せてもらって帰省。お友達と4人で帰省。厳密には帰省は僕だけだけど、とにかく帰省。4人が帰省。
実家に向かう車の中でけっこう真面目な話を聞いた気もするけれど、憶えているのは最近おならがよく出るとか、おなかの上で「の」の字を書くと便がよく出るとか、そういう類いの真面目な話で、CEOとか独立とかの話は憶えてないけど、なんとなく応援したい気持ちになったのはなんだろうか。がんばれ便!出ろ!ということだろうか。そのへんのことをあまり憶えていないのは、とにかくクルマが速かったせいだろう。
そうこう(走行)しているうちに知ったような風景が見えてきて、ところどころ記憶と違うその風景にいちいち驚いていたら、完全に知ってる風景になって、そしたらそれは実家だった。
親はふたりとも庭でなにか作業をしていたようで、クルマで家の敷地に入っていくと、すっと立ってこっちを見た。その姿が、以前原美術館で監視バイトをやりながら一日中見ていたピッチニーニの”We are family”という作品のミーアキャットみたいな生き物にそっくりだなと思ったけれど、わかりづらいし言うほどのことじゃないと思って、結局その時出てきた僕の台詞は「あ、あれ、母親です。」という、なんでもないものだった。梅の実とりとは関係ないけれど、その時の監視の経験は、ひとつの作品を見続けることによって生まれる楽しさがあることを僕に教えてくれた、地味だけど衝撃的な経験で、出来ればまたどこかでそういうことをやりたいとは思っているのだけれど、これは本当にこの日のことと関係ない話で、これは今触れるべき話題じゃあない。
クルマを降りて、庭先で親と軽く挨拶して家に上がり、食卓を囲みつつお友達の紹介などしながら昼食。漬物、サラダ、コロッケ、いなりずし、赤飯。「親はなぜ今日赤飯を炊いたのだろうか」と、ほのかな疑問を感じたものの、あえて聞くほどではないかと思い、お友達の紹介もそこそこに出された食べ物をもりもり食べた。
全員ひとしきり腹一杯食べたところで「じゃあ、ちょっとひと眠り…」となりそうな気持ちをぎゅっと抑え、仕事のために外に出た。
麦わら帽子(ひとりだけ尖っていた)と軍手(ひとりだけ「日本一」というシールが貼ってあった)で格好を整え、親の簡単な指導のもと、ひたすらに梅を採る。手入れの行き届いた梅の木ではないため、ずいぶん高いところまで枝が伸びてしまっていて、それらを棒切れで叩いては、ぼとぼと落ちる梅の実をあわあわと拾い集める。大きいものを見つけた時には「ビッグワン」と言ってから拾う。梅の実は、とってもすぐその場で食べられるわけでなし、果実採取の面白みとしては他の果物に一歩及ばないものの、はじめてみると案外熱中してしまうもので、それなりに楽しい。
去年もちょうど今頃の収穫だったけれど、熟れすぎて自然に落っこちていた実がけっこうあった去年にくらべて、今年はまだ実が小さくて採らないままにしておいたものも多い。一時間ほどで畑の梅の木をひととおり採り終わったが、収穫量はかなり少なめ、去年の半分くらい。
梅の実を集めてから、再び畑に出て今度はジャガイモを掘る。ジャガイモは男爵、メークイン、キタアカリと三種類あって、それらをひたすらに掘る。作業的には芋掘りのほうが梅採りよりも数段しんどい。鍬をふっていると汗がしずくで落ちていく。こういう汗はしばらくかいていなかった。掘り終わったら芋を日陰に片づけて芋掘り終了。作業が終わっても汗がしばらく止まらない。
縁側で休憩。冷たい飲み物をガブガブ飲む。庭を眺めていたら庭の梅の木に梅の実がアホほどなっていたので、ひとりで採りはじめたら、採っても採ってもまだ実がなっていて終わらなくなってしまう。庭の木は畑の木と品種が違うらしく、実のなりかたも全然違う。結局たった2本の庭の木で、10倍以上ある畑の木の半分近い量を収穫。庭の木、優秀。
家にあがりひとりずつ風呂に入る。部屋と縁側で横になってお喋りしていたら、いつの間にかひとりずつ夢の国へ行ってしまわれた。ひとり縁側に座って部屋の方を眺めてみると、座敷に2体、奥の板の間のマッサージチェアの上に1体、合計3体の死体が転がっている実家。自分も向こう岸に行けたらよかったのだけれどそんな気になれず、あきらめて向こう岸へ行ってしまったお友達を起こさないよう静かにしていた。実家なのに。みんな自由だ。
死体が自由に転がっているあいだに庭で準備。ただし過程も含めて帰省なので、全部はやらない。頭の中でひととおりの段取りがついたところで母屋に戻って、縁側から部屋の死体を見てみたが、死体たちはいっこうに生き返る気配もなくスヤスヤと転がっているので、さすがに心配になって起こしてしまった。「働くよ」というと「嫌だ」と確かに死体は言った。
庭に出て先ほど収穫した梅の実とジャガイモを、各自おみやげとして袋に詰める。最初は遠慮がちな袋詰めも、次第に勢いがついてくる。しまいにはおかわりまで出る始末。それでこそ子供。
梅と芋を詰めおわったら、今度は家の前の畑に出てキャベツとレタスと大根を採ってきて、それも詰める。なかでも一本、見事なまでのスケベ大根が採れて一同興奮、大満足。もちろんそれも詰める。
おみやげの詰め込みがすんだら、庭でバーベキューの用意。即席の屋外テーブルは農薬の入った缶に、僕が昔使っていたパイプベッドの板を乗せたもの。新しいバーベキューコンロは見栄えはいいが、鉄板のラッカーを落とすところから始めなければならず、案外てこずった。
鉄板は他の人にまかせて、近所のコンビニに飲み物を買いに行く。戻ってみたらだいたい準備が出来ていた。買ってきたコーラとお茶とオレンジジュースを見せたら親に「子供みたいでいまいちなチョイス」とバカにされたが、子供なのだから仕方がない。
肉、野菜、ソーセージ、イカなどたくさん、焼いては食べる。白飯のおにぎりを食べていたら、それは焼おにぎりにするものだったらしい。そう言われてからももうひとつ食べた。バーベキューのあとは焼きそば。焼きそばのあとは焼おにぎりと、とにかくよく焼いた。そして食べた。もうお腹に入らないと思ったところからまた食べた。もう食べられん。最後のほうに、全員の動きがぱったり止まって、誰もしゃべらず、誰も動かず、おのおのがただ椅子に座っているだけの置き物と化した時間があったけれど、あの時間みんな何を考えてたんだろう。そしてどこを凝視してたんだろう。その時間、遠くの田んぼのカエルの鳴き声が、とにかくよく聞こえた。
バーベキューの後片付けの途中、Tシャツのすそをひろげてバーベキューの残りの炭火の熱をお腹をあてると気持ちいいことを誰かが発見。「あ〜」「お〜」。気づくと4人がならんでやっていた。
庭が片づけたところで花火登場。昼ごはんを食べながら母親が「花火も買ってあるのよ〜」と言った時には、正直「子供じゃあるまいし」と思ったし、ほかの人たちも「そこまでは…」という表情をしていた気がするけれど、半日経ってただの子供と化した僕らにとっては花火こそ普通。ロウソクの火を奪い合うように遊ぶ。ワーキャーいってはしゃいだ後、最後の方は自然と輪になって線香花火タイムになっていて、最後の最後はほんの少ししんみり。
花火をやりきって(結局全部やった)家に入ろうとするところで母親から「スイカ食べる〜?」のひと言に、間髪入れずに首を縦に振る子供4人。さっきまで「もう食べられん」とか「限界」とか言っていたこともすっかり忘れて「ウ〜ン!」だって。まったく子供。居間で座って待っていると、切られて出てきたスイカのデカイこと。これが意外においしい、というかすごくおいしい。皆で夢中で食べる。スイカも最初は「ちょっとだけ」とか言ってたくせに、しまいには「おかわり」してまた食べる。お腹がタプタプになるまで食べるのが子供。
気がつくと結構いい時間。これから東京まで帰らなければならないと思うと、いっそこのまま布団を敷いてここに泊まってしまいたくなったが、子供たちも東京では一応いい大人、甘えた気持ちをぐっと抑えて帰ることにする。仏壇に線香をあげて外に出て、親に見送られながら再びムショカーに乗り込み東京を目指す。
帰り道は帰り道でまたいろいろあったのだけれど、無事新宿まで送ってもらって解散。それぞれ帰っていく子供たちの荷物がとにかく半端ではなかった。一緒に帰ってくれた子供たち、それから実家の親、楽しい帰省ありがとうございました。