いちいち驚く回転運動

朝、腰のあたりに硬くとがったものがあたるのが痛くて目が覚める。見るとそれは3×3のキューブ状のおもちゃで、僕の腰のあたりにあたっていたのは白と青と黄色のところだった。そういえば昨日の夜も寝る前に布団の上で回転運動をさせて遊んでいたのだけれども、遊んでいるうちに眠ってしまっていたらしい。当然3×3のキューブの1面(今は白から揃えるのがなんとなく好き)以外はバラバラで、バラバラといってもたかが3×3が6色で構成されているものだから、白のとなりの黄色はTの字に揃っていると言えなくもないし、この黄色のTの字を額と鼻に見立てて、白の隣は人の顔状に揃っていると言えなくもない。この顔のほっぺたにあたるところはどちらもオレンジ色になっているから、なおさらこれは顔状に揃っていると言えなくもない。言えなくもないけれど、普通に見たらこれは揃ってないし、朝、起きがけにこれを見た時の感想は「揃ってないな」だった。
回転運動は毎晩続けているものの、未だに解説を見ないと最後までたどり着けないのは、真面目に理解しようと意識しながら回転に取り組んでいないからで、一度出来たことが次の時には出来なかったり、その逆があったりを毎晩繰り返している。
解説を見ながら(同時にテレビの深夜放送などを見ながら)いいかげんな態度で遊んでいると、気がついた時には「今、ここでは、これを、こう回す」「そして、次は、これを、こう回す」という感じで、ただ与えられた指示をなぞることだけに集中していたりする。そういう時には自分でも「6面揃える」という大きな目的をすっかり忘れてひとつひとつの部分だけに没頭しているから、とある回転のあと、思いがけず6面が揃っていたりして、驚く。
揃えるために回転させていたはずなのに、回転させていて揃うと思わずハッとする。今はその「いちいちやってくる驚き」がちょっと面白くて気に入っている。そして、キレイに6面揃った3×3を少しのあいだ満足げに眺めたあと、おもむろに自らそれをバラしはじめる。
犬がひたすらフリスビーを追いかけていたり、子供がずーっととジャンケンで遊んでいたりするのを見て「よくもまあ飽きないもんだ」と思うことがある。そういうのを見つけると僕は少しうれしくなって「犬、バカだもんな。子供、アホだもんな(悪意なし)」と思いながらそれらを眺めたりする。それは僕自身が彼らの行動に感じる違和感というか次元の違いみたいなものを「面白み」に変換して消化している結果だと思うのだけれど、今回はそういう自分の側のことではなくて、向こう側にある「理解しがたい次元の出来事」について、なにかちょっと手掛かりが掴めた気がする。