8月6日 午前8時15分

朝6時、このまま布団で寝続けたら目に見えない虫に体中を刺されてかゆくてかゆくてたまらなくなるような気がするので、無理矢理布団を出てシャワーを浴びる。思わぬ早起きが出来た。そういえばこの頃虫の夢をよく見る。ちなみにこのあいだ見た虫の夢は、触るとかぶれてしまうような毒を持つ虫が気がつくと自分の服や身の回りにくっついていて、僕はそいつに触らないようにしながら台所用洗剤を使って駆除していくというもので、その毒虫のカタチは昔実家の柿の木でよく見た緑のとげとげをもった毒虫にそっくりだったけれど、夢の中のそいつは緑色に赤みがさした見るからに毒々しい色をしていて、棒かなにかで触った感じでは背中がものすごく硬かった。足の力も強くて、服からはがそうとしたら棒でつついただけでは駄目で、棒をそいつの腹の下にねじ込んでからてこの原理でひっぺがさないとはがれなかった。今「足の力」と書いたけれど、もしかしたらヒルのように吸い付くような力だったかもしれない。夢の中の僕はそういうやっかいな虫をひたすら駆除していくのだけれど、ふと気がつくとまた別のやつが服についたりしていて、しかもそいつらは次第に大きくなり、その数も増えていくのだった。結局その夢は、僕がある毒虫をやっつけて(やっつけた時はいつもそれが最後だと思う)「これでようやく安心して暮らせる」と安心した矢先に、また新たな毒虫たちを見つけてしまったところで記憶が途切れていて、その夢の中での最後の記憶は「これはもう駄目だ」という諦めの感情で、その諦めというのは「近い将来、人類はその毒虫にすっかり滅ぼされてしまうだろう」というけっこう壮大な諦めだった。あんな夢もう見たくないし、そんな夢のことをなぜか今日ここにくわしく書いてしまったけれど、確か今朝のことは夢などではなくて、理由はよくわからないけれど目が覚めてからけっこうはっきりした意識の中で「虫!イヤ!」と思ったのだった。
とにかく、虫のおかげで早起き。朝だというのに陽射しはすでにガンガンに照っていて、シャワーのあとで体から出る汗が止まらない。ソファに座って扇風機と団扇の風にあたりながら、なるべく動かないようにしていたらしばらくしてようやく汗がひいてくる。テレビをつけたら広島の平和記念公園が生中継されていて、今日がその日であることを知る。テレビの時計を見ると8時15分まではまだ少し時間があるので、本棚から『夕凪の街 桜の国』をなんとなく出してきて読み返す。
つけっぱなしにしていたテレビで、60年前の今日のことを今年になってはじめて下の世代に話すことが出来たという人のことを紹介していて「それだけの時間が必要だった〈その日〉って〈どんな日〉だ!?」と思った。こう書くと誤解される気がするけれど、その気持ちをきちんと言葉にする「粘り」みたいなものが今この瞬間の僕にはないから、諦めてそのままにしておくけれど、その人に必要だった60年という時間の長さは、自分が想像で処理出来る範囲をはるかに超えていて(僕はその半分も生きていない)、その時点で〈その日〉が〈どんな日〉だったかというのは、宇宙のずっと向こうがどうなっているのかとか、神様がどのようにいるのかとか、何が人を感動させるのかとかと同じように、本やテレビなどで見ることでだいたいの感じは掴めるとしても、バチーンと自分の感覚としてそれを感じるのは難しい。難しいというか不可能じゃないかと思っているし、ましてやそれを書き表わす言葉なんかがそうそうポンポンと出てくるもんか。と、なぜか逆ギレだ。
広島も長崎も、僕は生まれてから今まで一度も行ったことがない。出来れば今年のうちにどちらかには行きたい。