草むしりというか草刈りというか草抜き

昼前から庭(ひとんち)の草とり。茂りに茂った庭は膝くらいまで伸びた雑草で地面が見えない。夏になる前からそこに置いてあった自転車はすっかり草の海に埋もれていて、ツタなども絡まっており出しにくそう。というか、とり出そうにもそこまでたどり着けないほど、茂りがすごい。
帽子を被り長袖シャツを着て、草の海を端からひたすらに引っこ抜く。引っこ抜いた草を山にする。抜いて抜いて汗を拭く。抜いて抜いて鼻を掻く。草を取り除くと土の中にいたあらゆる虫が一気に陽の下に現れて、そこら中でウヨウヨ動く。主にダンゴムシシャクトリムシもいた。草の下の土の上にコーヒー豆くらいの大きさの白い卵のようなものがいくつも落ちていて、卵なんて普段あまり見かけないが、それはどう見ても卵のようなので、ひとつ割ってみたら、硬めの殻の中から黄身が出てきた。少し考えて結局「トカゲの卵ではないか、ということになって、三つくらい植木鉢にとっておく。もしかしたら飼ってみるかもしれない。
ひたすら草をむしりながら、草の気持ちと自分の気持ちを並べて考えてみたりする。今日僕は「天気がいいから庭に出て汗をかくのも気持ちがいいものだ」などと思いながら爽快に草をむしっているけれど、草にしてみたら「せっかく茂ってきたところをなんてことをするんだ、この鬼め!」ということになるだろうし、この庭がすっきりすればするほど満足していく僕に反して、庭の草はその命を失っていくということになるだろう。そう考えると、のどかな夏の庭のこの光景もちょっとした地獄絵図に見えなくもない。「人間て勝手だな」ということを思いつつ、目の前の草をまた引っこ抜く。
一時間ほどで、4畳半くらいのもっさりした草の庭がすっきりした土の庭になる。山になった草は後日片づけることにして、草のあとは通り道に覆いかぶさってきている庭木の枝をいくつか落とす。ついでに剪定ばさみでパチパチやる。ふたり無言でやる。剪定ばさみで枝を切る音というのはなんとも心地よく聞こえる。音そのものもそうだし、次はどれをどう落とそうかと考えている時間が生む「間」も、ちょうど心地よく響く。
草取りも枝パチパチも、気がつくと無言で黙々とその行為に没頭していることがあり、少し気が散った時にそのことに気づく。その少し気が散って気づいた時に話をしたり、ひとりでこれはルービックキューブと似てるなと思ったり、頭の中で今抜いてる草のことを考えたりする。今日の草取りはそんな頭と体:思考と運動のいったりきたりのバランスがとてもよかった。