この夏はじめての海

沈んでいく太陽 富士山のほう

夕方、ふらりと電車に乗って海のほうへ。毎年夏にはひとりで葉山周辺の住宅地や海岸をただひたすら歩き回るという個人的な行事「葉山の夏」をやっていたのだけれど、今年はタイミングがうまくはかれず結局出来なかったため、今年の夏に海に行くのはこれがはじめて。
着いて見ると海岸にあったであろう海の家がすっかり骨組みだけになっていて、そういえばもう9月だということに気づく。ということはもう夏でもないのかしら。
海岸のはじっこのほうに座る場所を見つけて、なんとなく夕暮れどきの海を眺める。しばらくしたらいつの間にかまわりがカップルだらけになっていて焦ったけれど気にしないふりで乗り切る。
目的も予定も話し相手もなく目の前の風景をただぼんやり眺める。しばらくそうしていると夕暮れに対する紋切り型の「あるムード」みたいなものに体がだんだん慣れてくるというか飽きてきて、そうすると同じ風景に対して「ムード」以外の変な見方をするようになるので楽しい。今日は終始「ありのままをそのまま正直に見る」みたいなことになんとなく意識が向かった。
視界を黒いなにかが横切ったので見るとトンビで、飛んでいるトンビを見ていると、トンビは飛びながら何回か羽ばたいて、その後はひろげた羽を動かさないで滑降するように飛んでいく。羽ばたいていないのに落ちることなく飛んでいく。空中をそのまま進んでいく。なにもない空の中をスーっと移動していく。その様子は「気持ちよさそう」というよりむしろ気持ち悪い。なんでそこをそう飛ぶのか、鳥がとにかく気持ちわるい。
トンビがそんなふうに気持ち悪く飛び続ける下にひろがる海も、「海」としてでなく「たくさんのしょっぱい水」として見てみると、これがまた相当に気持ち悪い。どこまで深いのかも分からないたくさんの水が見えなくなるくらいずっと向こうまで続いている様が、気持ち悪くないとしたらそっちのほうが異常じゃないかとさえ思った。しかもその水は絶えずユラユラ揺れていていて、なにかが蠢いているようにも見えなくもない。なんだその量とその揺らぎ、海がとにかく気持ちわるい。
気持ち悪くトンビが飛び、気持ち悪く波が揺れる海の上にひろがる空も…、と一度気づいた気持ち悪さは、実はいたるところにあったりする。それらにいちいち驚きながら気持ち悪がっていたら、あっという間に日が暮れた。理解の範疇を超えたところから来るこの気持ち悪さは、感激とか感動とかとたぶん同義。まわりのカップルもいつの間にかいなくなっていた。