客としての気分と態度

午後から外出。都心へ出る際、この頃はバスが気に入っていて、今日も乗る。実際は駅まで歩いていって、そこから電車に乗ったほうが間違いなく早いし時間の狂いもないのだけれど、電車ほどのワープ感というかスキップ感もなく、普通の街並みをチビチビ進むバスの感覚がなんとなくいい。部屋のごく近所にバス停があるから、あまり歩かなくていいからというのもあるのだけれども、とにかくバスがこの頃の気分。
そして今日は、一番前の座席の気分。疲れている時などはなんとなく後ろのほうへ自然と体が向かいがちだけれど、飛び乗るようにあそこに座って、でかい窓で前の景色を見たいと思うのは久しぶりの気分。バスが発進したり停止したりするたびに、自分で置いた窓際のペットボトルが、すすーっと前にうしろに動くのを、眺めたりするのがたのしい気分。
仕事場からの帰り道、反対方面の電車にのって日本橋へ行き鮒屋という佃煮屋で佃煮を買う。中年あるいは年配のお店の人3人に対して客は僕1人。いろいろ見たいが、同時にいますぐ逃げ出したい。そんな気分で佃煮のならんだ棚を眺める。本当は気分というか用途に合わせて「これとこれとこれ、詰めてください」みたいに買い物できたらいいのだろうし、お店の人もそういうことをいろいろ教えてくれたりもしたのだけれど、結局あらかじめ詰め合わせになったものを選ぶ。商品の質や品ぞろえや接客など「店」に求められるものがあるとして、同じように「客」にもそれ相応に求められるものがある。はず。
帰り道の途中、渋谷の楽器屋に寄って楽器を眺める。同じところを何度もぐるぐるまわっていたら、見かねて店員が声をかけてきた。これ幸いと「初心者です」とか「なんで長さが違うのに同じ音が鳴るの」とか、思っていることを言ったり聞いたりしたら、いろいろ教えてくれた。結局おなじかたちの中では一番安いギターを買うことにして、それははじめから目星をつけていたものだったのだけれど、それを選ぶことに対する安心感みたいなものが店員との会話の前後では圧倒的に違う。佃煮屋で出来なかった「相談」が、楽器では出来た。佃煮も楽器も余計な見栄は張るもんじゃない。次回佃煮屋に行った際には、この「相談」のところを積極的に実践していきたい。
部屋に帰って今日はじめての食事をとり、テレビでも見ようと思ったらなぜだか眠気が一気にやってきて、気づいたら床で寝ていた。