誰かが誰かを思う時
帰り道の電車で読んでいる本で、小島信夫が今年の6月に脳梗塞で倒れたこと、そしてそれ以来ずっと意識が戻らないでいることを知る。
今年の春先に世田谷文学館で保坂和志との対談があることを知った際、一緒に聞いたらきっと面白く思ってくれそうな友人を誘ったことを思い出した。
その時送ったメイルに僕は「もう二度と聞けないかもしれない」などと書いていた。友人からの返事は「興味深いが都合がつくかわからない」という内容だったので結局僕はその対談にひとりで行くことにしたのだけれど、最終的にはチケットを取り損ねてしまって対談には僕も行かなかった、というか行けなかった。
「もう二度と聞けないかもしれない」という言葉を当時の僕はほんの冗談のつもりで書いたのだけれど、半年経った今というかしばらく前からそれは現実のことになってしまっていたようで、そのことがまず驚きであるとともに、そうした現在進行形のニュースをインターネットやテレビや新聞や週刊誌や月刊誌などでなく、新刊の単行本で知らされることがなんだか奇妙な感じがして、電車の窓から外を見ながら、どこかのベッドの上で眠り続けているのであろう彼や遠くにいるのであろう彼の奥さんのことなど、いろいろ考える。
前述の友人に本に書かれていたことをメイルで知らせておいたところ、電車を降りる頃に返信があって「検索してみたら昨日の日付で歿となっている」と知らせてくれた。さっきまで自分の頭の中では確かにベッドに横になりながら生きていた。その姿とはなんだったんだろうかと、再びいろいろ考える。