物語の在処を知る

オトメ(乙女)

午前中、外出。妻に連れられて銀行の資産運用相談会に出掛ける。仕切りの取り付けられた長机に相談したい人たちが横一列に並んで座り、机の向こう側に同じようにずらりと並んだ銀行員の人たちが、その相談に次々と答える。そんな会場の風景を勝手に想像しながら訪れると、意外にも相談者は自分たちだけで、個室に案内されたあと、難しい説明を一時間程聞く。
昼、仕事に出掛けていく妻と別れて渋谷へ向かう。駅前を少し歩いたところで渋谷に特に用事がないことがはっきりしたので電車で下北沢へ行くことにする。
古本屋とレコード屋洋服屋を冷やかしながら少しずつ変わってきている商店街をぷらぷら歩いていると、どんどんお腹が減ってくる。思い出して?亭に入ってラーチャンを食べて、そのあとコンビニでエクレアを買ってそれも食べる。
夕方、新宿に移動して西口の喫茶店で居眠りをしながら夜を待つ。
夜、朝日カルチャーセンターで宮沢さんと友部さんの対談「新しい物語をつくろう」の話を聞く。
新しい物語も、資本主義によって失われつつある各地の街の風景も、結局はそれを見る我々の心の中というか頭の中というか、そういうところにあるのではないだろうか、そういう話を聞いた気がする。それから、喋らないことと考えていないことは違う、そういう話も聞いた気がする。
後半、宮沢さんのリクエストに応えるというかたちで、友部さんが歌を歌う。2メートルの距離で聞く歌声がとてもよくて、聴きながら驚いた。今まで座って話をしていた椅子の隣に立ちギターを抱えハモニカを吹き歌を歌う友部さんは、歌いながら左右に重心を動かして小さなステップを踏んでいるのだけれど、左足の蹴り上げが若干強いのか、ステップを踏むごとに1センチもしくは5ミリくらいの小さな距離を右のほうに少しずつ歌いながら移動していくのが気になって、途中から足ばかり見てしまう。少しずつ少しずつ右に移動してそこに置いてあったギターのスタンドにぶつかるくらいまで近づいて、いよいよぶつかる、と思ったらぎりぎりのところでぶつからなかった、と思ったら次のステップでぶつかった、と思ったらその瞬間、友部さんがぽーんと左に大きくステップを踏んで、もとの位置に戻って何ごともなかったように歌を歌い続けた。
地味に右に移動したり大きく左に戻ったり、見続けたそういう一連のことのほとんどはきっと無意識のことだし、だからなんだということもないことなのだけれど見ていてひどく面白かった。物語が見る側のほうにあるものだとしたら、はたしてこれも物語といえるのだろうか。会場を出て駅まで歩きながらそういうことを考える。
帰り道、新宿駅の改札横でとても若い格好をしたおばさんがひとりで壁に寄りかかりながら乙女のようにメソメソと泣いている。