ファミレスリビング

午前中、二度寝して目が覚めると外は大雨。
昼過ぎ、外は朝の雨から一転して快晴。いろいろなものをカバンにつめて近所のファミレスまでくつろぎに行く。ファミレスまで歩いて向かう道の途中、遠くに見える空の青さとその空の高いところまでモコモコとふくらんで浮かんでいる大きな白い雲と頭の上のほうの高いところからやってくる強い陽射しの感じがもうなんだか夏の風情で、そういえば今朝降った大雨は遠くに見えるあの大きな雲が降らした夏の夕立のようなものだったのかもしれないと思ったら、ますます今日が夏らしく思えてきたのだけれど、そういえば朝降った今日の大雨は夕立というより朝立といったほうがしっくりくるというか、でもそれはそれでまた不適切なような、というかそもそもあれは本当に夕立と同じ仕組みで降った雨だったのか、知りもしないのに決めつけてしまうのはいけないことだと思った末に、結局雨は雨、陽射しは陽射し、空は空、雲は雲、でいい、それでいい、というふうにぜんぶを一度リセットしたところでちょうどよくファミレスに着いたので、禁煙席に案内してもらう。
土曜日の午後のファミレスはすっかり中年女性たちのたまり場になっていて、まわりのテーブルの大半が2、3人の主婦らしき方々のグループで占められている。見事なまでに男性がいない。意外なことに子供も少ない。主婦ばかりがそろって皆でぺちゃくちゃとひたすらにお喋りを楽しんでいるのを眺めながら、あの家の子供や父親たちは今日のお昼をどう済ませたのだろうかと、余計な心配をする。
昼食に担々麺とザーサイご飯。食後におかわり自由の深煎りカフェを飲みながらしばらく本を読む。
読めば読むほど理解できないというか、実際のところわからなくもない部分もあるのだけれど、それでもやはりなぜこうなってしまっているのだろうかと思うようなことばかりが書かれているので、ページが進むにつれてどんどん嫌な気持ちになってくる。確かに終わりが見えない。

少し仮眠をとったあと、PSPで少し遊んで、それからまた別の、今度はとても好きな、読んでも気分が悪くならない、というより読んでいるあいだはいろいろなことを忘れて没頭できて、というのではないのだけれど、むしろ逆に読むことでいろいろなことを思い出したりして、そうしながらまた読んで、そういう具合に自分の頭の中を刺激しながらいつのまにか読むことに熱中してしまっているような、そういう気持ちのいい本をカバンから出して、それを見ながら同じ文章を大学ノートに書き写していく。書くという作業は読むという作業に比べてあたり前だけれど圧倒的に速度が遅くて、一時間かけてノートに写し取った文章を読むのに5分もかからなかったのだけれど、書き写すという作業を通して同じ文章を読んでいる時にはまったく気がつかなかった新しい面白さの発見なんかもあったり、書くという作業自体の持つ摩擦の大きさというか頭と体のギャップというか、もっと単純にいえば書くことの面倒臭さがとてもよくわかったり、とにかくとても勉強になった。
いつのまにか外はすっかり暗くなっていて、テーブルには空になったコーヒークリームの容器がいくつも並んでいる。昼間とは一転して夕食時のこの時間はちいさな子供たちがフロアの主役になっていて、あちこちで嬌声があがり、おもちゃの光線銃のピロピロピロピロという機械音が断続的に聞こえてくる。本を読むことにも書くことにも少し飽きてしまったので、あるテーブルの、父親に連れられてやってきた小さな兄妹が、黙々となにかを頬張ったり、目を見開いたり、ストローを口で捕まえ損ねたりしている姿を、今日何杯目かのコーヒーをすすりながら、しばらくぼんやり眺めてみたりする。