帰って食べてまた帰る(盆)

朝、起床。夏休み初日。風呂から出てきた妻がなにかを繰り返ししゃべっている。何度目かでそれが「おなかが空いた」だということがわかったのだけれど、その様子がこのあいだ見た2歳児とそっくりすぎて驚いた。朝食にホットケーキを作って食べる。
隣の家のおばあちゃんが「お父さんに」と言って桃と葡萄を持って来てくれる。昨日誰もいなかったから今日もいなかったら自分で食べてしまおうと思っていたけれど渡せてよかった、あと昨日庭の百日紅の枝を一本もらったけどありがとう、と言われる。こちらもお礼を言って頂いて、ガラスの器に入れた桃と葡萄を居間にある義父の写真の前に供える。盆である。お迎えにいってはいないけれど、身軽で器用で娘想いな方なのでおそらくここまで向こうからやって来てくれているんじゃないかと思う。バスで外出。駅から電車で埼玉へ向かう。
昼過ぎ、駅に着いて親の運転する車で実家へ帰宅。暑い。線香をあげる。そして暑い。少ししてから親戚が集まってきて居間で昼食。前もうしろも家の窓を開け放っているとはいえ、エアコンのない居間に10人以上が集まって食事をするからどうやっても暑い。鶏の唐揚げ、いなり寿司、太巻き寿司、煮物、胡瓜の酢のもの、冷やしトマト、ぼたもち、漬け物、梨、どら焼き、タルト、熱いお茶。汗をにじませながら夕方までずっとなにかを食べ続ける。
確かに夏だから暑いのはあたり前の話なのだけれど「この暑さはひさしぶりだ。まるで自分が子供の頃のようだ」と叔母がいう。叔母が子供の頃というのはおそらく昭和30年代の後半から40年代の話だと思うのだけれど、今いる家のどこからどこまでが土間だったとか、そこになにがあったとか、その土間をつぶして応接間をつくったのは叔母が婚約者を連れてくることになったからだったんじゃないかとか、当時の話をいくつか教えてもらう。つけっぱなしのテレビはずっと甲子園での高校野球が映っていて、みんなは暑いので座布団をどかして、うちわや扇子をそれぞれ持って扇ぎながら話している。夕方のニュースで昼過ぎに館林の気温が40度を超えたことを知る。県内の熊谷も小川町もそれぞれニュースになっている。「どうしようもない」と思うしかない。
夜、帰って行くみんなを見送ったあと、そうめんを冷や汁で食べる。親戚にもらった梨や残り物の煮物やぼたもちや親がつくったジャムなどを手提げ袋二つにまとめて今日も持ち帰ることにする。送ってもらって電車で帰宅。