葉山の夏2007

一色の海水浴場

朝、起床して妻を見送る。少しして自分も外出。午前中下り方面に向かう電車は乗客も少なく、まして窓の外は文句なくいい天気であるから車内になんとなく行楽感が漂っているというか、もしかしたら自分だけかもしれないけれどもし自分が小さな子供だったら間違いなく歌を歌いだしてしまうであろう、そんな雰囲気がある。藤沢から大船を通って逗子、逗子駅からバスに乗り換えて海岸回りで葉山へ向かう。
2001年以来だいたい毎年夏になるとなんとなく来ているけれど、いつも森戸から一色までのごく狭い範囲をなんとなく歩くことしかしていないし、別の機会にガイドブックを見て下調べをしたりもしないから、毎年来ていても葉山のことはまだよく知らない。よく知らなくても毎年来ていればそれなりにその時々の出来事だとか風景だとか発見だとか気分だとかの記憶が積み重なっていくから、はじめて来た時に比べれば驚きはだいぶ減っているけれど、狭い路地を歩いていてふと感じる面白さは変わらないというか、むしろよりたくさんの方向へひろがってきている気もしなくもないので、毎年同じようにひとりでただふらふらと歩いているだけでも十分に楽しい。
バスに乗りながら森戸の交番の横を通り過ぎるときに、顔はもうすっかり忘れてしまった巡査だったか巡査長だったかとにかく去年お世話になった警察の人が今日もいるかもしれないし、見たら顔も思い出すかもしれないと思って注意して見てみたけれど、二つ並んだ事務机とその前に置かれたいくつかのパイプ椅子が見えただけで交番の中には誰もいなかった。
一色海岸でバスを降りて山口蓬春記念館の前まで行ったところでやっぱり入るのをやめて引き返し、道路をわたって鎌倉近代美術館の葉山館に行く。前から何度もこの建物のまわりを歩いていたことはあったけれど実際に中に入るのはこれがはじめて。
建築に格別興味や関心がある訳ではないけれど伊藤豊雄という人の名前は僕でも知っていて、せんだいメディアテークはその建物が見たくて一度仙台に行ったのだった。建築の技術的なことはまったく判らないけれど、館内の展示をぼんやり眺めていたら、小説家が文字を使ってやるように、音楽家が楽譜を使ってやるように、俳優が体を使ってやるように、建築家というのも図面や模型や構造計算や素材や空間なんかを使って〈考えること〉をやっている、そういう職業なんだということがなんとなく判った気がする。
美術館の前はすぐ一色の海水浴場になっていて、美術館の大きなガラス窓からは緑の植え込みの向こう側にくすんではいるけれど海と空の青が見える。美術館を出て砂浜に降りていってブルームーンコロナビールとフライドポテト。ポテトにつけるソースがおいしい。椅子に腰掛けて海と空と半裸の男女をしばらく眺める。眺めながら少しだけ居眠りもする。
昼過ぎに海水浴場を離れて道路沿いの魚竹で焼き魚定食をゆっくり食べて本格的に腹を満たしてから、一色の住宅街を一時間ほど徘徊。陽射しは強くて気温も高くて歩いていると蒸し暑いのだけれど、山のほうから時々吹いてくる風が冷房かと思うほどひんやりしている。とても涼しい。海岸通りから離れて奥へ入っていくと山が壁のように目の前あってその山の上空を鳶が旋回して飛んでいるのがすごく上の方に見える。
このあたりはそもそも家と家を隔てる道が細い上にぐにゃぐにゃと曲がりくねっているから、無目的に歩いているとかなりの確率で行き止りにぶつかる。それから鎌倉もそうだけれど緑が多いというか濃いというか、山に囲まれているからあたり前といえばあたり前なのだけれどそれぞれの家にある庭木もなんとなく密集しているというかとにかくよく茂っていて、両側から林に挟まれた細い道なんかは昼でも少し薄暗くて、昼間は涼しくていいのだけれど、夜になったら結構気味が悪いかもしれない。住宅地の奥のほうになだらかな斜面の大きな空き地や雨戸が閉め切ったままの空き家がいくつか見つかる。多少の不便は確実にあるとは思うけれどこういうところに住むのも面白かろうと思う。
雑木林の隣の道を歩きながら頭の上で今年はじめてのヒグラシの鳴き声が聞こえてきたところでなんとなく満足して、まだ少し早いけれど夕方前に帰ることにしてバス停を探す。