続空気が見える人

白道

朝、窓のそばで音がするので近づいて外を見たら、家々の屋根やら植木やら塀やら歩道やらが白く雪で覆われていて、目の前には雪が舞っている。ほんとに雪になった。昼前、おにぎりを食べて外出。
外へ出て歩きはじめて空からひっきりなしに降ってきている雪の舞うさまを見た途端、昨日考えていた「空気が見える人」のことを思い出す。空気中を舞う雪を見て、「空気が見える人」が見ている風景が実際どんなものであるのか、未だ知らないその感覚をまるごとイメージ出来たわけでは勿論ないのだけれど、それを理解するためのきっかけというか取っ掛かりというか、そういうなにかが今日の雪景色にはあった。気がする。
空気が見える人は、今僕が見ているいろいろなものが本当に見えないのか、そもそもそれで生きていけるのか、だって目の前の空気が見えてしまうのであれば、そのむこうに何があろうと視界はほぼゼロに近いのではないのだろうか。でも仮に密度によって見えるものと見えないものがあるのであれば、なにかが「ある」ところは今僕が見ている空気のように無色透明な空白ではなく色か光かなにかの濃淡で確認できるようになっていて、空気が見える人は「ただ空気が見える」というわけではなくて、同じかたちのバットでも金属製と木製の違いをそのグラデーションの濃さ(薄さ)で見分けられるのかもしれない。密度が薄いモノほどハッキリと見えるのだとしたら空気が見える人にとってはレンガよりも豆腐のほうが「見た感じ強い」ということになるのかもしれない。
そういうことを今日もぐるぐる考える。ちょっと考えるとすぐに行き詰まってしまってよく分からなくなるのだけれど、それは僕が今の僕の感覚で空気が見える人の感覚を説明しようとしているからで、そうやっている限り空気が見える人の感覚を僕は理解出来ないのかもしれないけれど、そんな僕の無理解とはまったく無関係に、空気が見える人はその「空気が見える」という感覚を使って今のこの世の中でも僕と同じように普通に暮らせるんだろうな、と強く思う。
新宿にて買い物、湯たんぽなどを見る。ミン亭にてチャーハンとギョウザ。レイトショーのチケットを買いに映画館に行ってみると驚いたことに既に売り切れ。仕方がないので部屋に帰る。雪が降っているというのに皆さんご苦労様なこってす。チケットが取れなかったため夜は出かけず。