ここは東京から約2000キロの遠く

「温かく美しい赤瓦」に夏の陽射し

朝、起床して身支度して出発。バスと電車を乗り継いで羽田へ。
10:20発沖縄行きの便の搭乗口は修学旅行の高校生らしきヤングたちで超満員で、となりに座っている妻とも普通に会話ができないくらいに騒がしい。ひとりひとりが、というよりもうあれが総体として高校生という生き物なのだろうと思えてくる。
離陸直後の急旋回をする時に、となりのとなりの窓際に座る人の顔の向こうの窓の外にずっとひろがる青黒い海面が見えてくる。あたり前なのだけれど今見えている海面は全体でゆらゆら揺れたり流れたりしているのだろうけれど、空の上ずっと高いところからひたすら続いている海面が太陽の光を反射してキラキラ光っている様子をみていると、だんだんと海面がとても硬い鉱物でできた無茶苦茶ひろい陸地のように見えてきてしまって頭の中にある海のイメージと現実に見えている海が同じものなのかがだんだん判らなくなったりするのは、何百メートルの上空を飛んでいるという自分の状態のあり得なさのせいかもしれないけれど、少し考えてみれば海の水もその下の地表をつくる鉱物も、同じ物質であることにかわりなく、硬いか柔らかいかという程度の問題なんだということを考えていたら、それらも自分と海との間にある雲も空気も自分が乗っている飛行機さえも実はあんまり遠くないもののように思えてくる。
水平飛行に移って、となりのとなりの窓際に座る人の顔の向こうに見える窓の外の風景はほとんど変化のない雲と空だけの風景がずっと続くようになったのだけれど、小さな窓から見える景色があまりに変わらないのをそれでもずっと見ていると、そのうち自分がものすごい速さで移動していることも本当なのか疑わしくさえ思えてきて、それでいろいろ考える。
それで、よく「長い距離を移動するとそれだけで疲れる」とか「椅子に座っているだけだから楽なようにも見えるけれどそうじゃない、移動する距離が長ければ長いほど疲れる」と言う、というかそれはうちの母親のおそらく経験に基づいたひとつの考えで、とにかくそれを聞いた時にはなんとなく自分も納得できたので自分もそう思っているのだと思うのだけれど、今まさにすごい速さで移動していることを曖昧に感じながら、その移動と疲労の関係性について考えていたら、そもそもこういう移動の速度に身体が対応できないから人は疲れるのではないか、自分の身体を構成する分子のひとつやふたつくらいはこの急激な体の移動についていけずに振り落とされてしまうものもあるのではないか、と考えたりして「それは疲れても当然だ」とその考えにひとりで納得度を強めたりしていたら、いつのまにか居眠りしていて、気がついたらもうすぐ沖縄につく頃になっていた。
昼過ぎ、那覇空港着。すぐに飛行機を乗り継いで、2時半ごろに石垣空港に到着。東京から石垣までは約2000キロというけれど、飛行機を降りてもなんとなく実感が持てないまま、バスに乗ってホテルに向かう。
夕方、遅めの昼食をとりにホテルから市街地へ。なかよし食堂という食堂に入って八重山そばとソーキそば。濃いめのだし汁が丸い麺にからんでとてもおいしい。奥の座敷の席でその家の子らしき小学生が宿題をやっていて、厨房にいる母親らしき女性に向かって「やれるところやった〜」と報告をしているのを聞きながら、汁まですっかり食べきる。
店を出て市街地のはずれの住宅街を適当散歩。たまたま通りかかった石垣島氷菓という氷屋で氷マンゴーとぜんざい(きなこ付)を食べる。だし味になっていた口の中に甘い氷がとてもおいしい。そのまま路地を進んだところに宮良殿内という文化財的な建物を見つけて適当見学。垣根の陰から中をのぞいてみると、縁側によぼよぼの老人が座っていて紙になにかを一生懸命書いている。その前には「受付」と手書きの札が置いてあって、どうやらその人が管理人らしいことを知る。声をかけて見学料の200円を灰皿に入れると、老人はスイッチが入ったテープレコーダーのようにいきなり大きな声でこの建物の解説をしかも聞き取れないほどの早口で喋りだしたので驚いた。途中で少しつっかえて「え、え」と言葉を詰まらせたのはおそらく暗記している説明の次の言葉を見失ったからだと思うのだけれど、すぐに思い出したようで、また早口の説明がその速度を取り戻してからは結局最後まで一気にいった。最後に「それでは外を右におまわりくださ〜い」と言ったきり、老人はまた手元の紙になにかを書きはじめる自分の作業に戻ってしまって顔をあげない。
夜、ホテルの大浴場でサウナを3セット入ってから、バイキング形式の夕食をたらふく食べる。部屋に戻った後、妻が「メガネがない」と言いながら部屋中を探しているので手伝おうとしたらその顔にちゃんとメガネがかかっているので驚いた。就寝。