ア ヤ   ズ エキシビション『バ  ング  ント展』P-House

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この展示については、既に数日前からいろいろな方の文章や音声などでけっこう核心となるであろう部分を教えてもらってしまっていて、それらを読んだり聞いたりした時には自分でもずいぶん納得させられた。まだ見てもいないものに関する解説や解釈を聞いて納得してしまう自分とはどうにもお気楽なものだと思いつつ、手をポンポン叩いてヒザをペシペシ打った。納得はしたものの、やはりそうした情報を知れば知るほどどうしてもそこに行ってみたくなるもので、それはすごくまっとうな心の働きだと思うのだけれど、週末を待って出掛けることにしていた。
昨日の夜中になって、ふと「もし自分がこのような予備知識を持たずにはじめてその場でその展示を見たとしたら、その時自分はなにをどう感じるものだろうか」ということを考えて、この展示のことを全く知らないであろう友達に声をかけて、案の定なにも知らないその友達と行くことにしてもいた。
昼過ぎ、六本木ヒルズの前の道で待ち合わせて、地図を見ながらP-Houseへ。受付に行ってみると開館時間はすぎているもののなにかトラブルがあったらしく準備中。長引きそうなので近所のレストランに入って時間をつぶすことにする。なにも知らないにも関わらず来てくれた友達に一応展示のことを説明するものの、直接体験ゼロゆえに語尾は全部「…らしいよ」「…みたいよ」と、限りなく曖昧。展示のことのほかにも最近のことを話す。梅やイタリアや山男の話。いいこと聞いた。
一時間くらい経ったところで再びP-Houseへ向かうと、入り口付近に10人くらいの人が座り込んでいる。どうやらまだ準備中のようで、仕方がないので自分たちも入り口付近のキノコみたいなやつに座って開館を待っていたら、けっこうすぐに受付がはじまった。
「消失」がテーマという今回の展示で、僕がいろいろな方の文章や音声などで知って「!」となっていたのはその中のあるひとつの作品についてのこと。その展示に関する詳細をここに書くのは無粋というものかもしれないけれど、少なくとも僕は、いろいろな方がそうやって書いたり話したりしてくれたものを読み聞きしたことでこの展示に対して俄然興味が沸いたし、その後実際にその場に足を運びもした(他人も巻き込んで)わけだから、書かないほうが正直ではないかもしれない。
会場には1.8m四方の立方体の箱がある。作家である飴屋さんは今回の展示期間中ずっとその箱に入り続け、箱の中に用意された必要最低限の備品や栄養素だけで生活する、というか生きる。言葉によるコミュニケーションはいっさいタブーとなっていて、ただ壁をノックすることだけが中と外とをつなぐ唯一の確認手段となる、という説明であっているだろうか、そういう作品。
しばらく前に「不在」ということについて少し考えたことがあったけれど、自分のなかではそれとつながった。一時間くらい見て外に出る。
駅まで歩く。お互い極端に言葉少なになっていて、その発言のひとつひとつも自信なさげに発せられている感じ。少し時間をおいたらもう少し話せる気がした。その時にはじめて知ったのだけれど、一緒に行ってくれた友達はこの後厚木の方の花火大会に見物に行くとのこと。この展示のあとの花火大会というその格差なんたる!と面白かったけど、ふたりとも無邪気に笑えない。「どうしよう…」といいながら友達は電車を降りていった。「なにも知らずに誘われて来てみたらあの箱」というのは少し申し訳なかったかなと思いつつ、ひとりになるといつの間にかまた箱がすーっと頭に浮かんでくる。僕は主に視界のもっと左上というか、左目の裏側というか、左のこめかみのあたりというか、そのあたりにその箱を感じる。
ちゃんと感想などを書けたらいいのだけれど、その「粘り」がどうにも出てこない。一緒に行ってくれた友達には、すこし時間がたった頃、その後のことを聞いてみるつもり。僕は僕で、もう一回くらいは行くつもり。